2004/08/15
「飛騨が見える」
岐阜県 野麦峠〜下呂温泉

下呂温泉は有馬(兵庫県)・草津(群馬県)と並ぶ日本三名泉です。
今から約千年前、
白鷺に姿を変えた薬師如来が源泉を村人に知らせたのが始まりだとか。

さて、この下呂温泉を訪れる際、
多くの場合は野麦峠という険しい峠を越えます。

明治〜大正時代、
日本が富国強兵を推し進めていた頃・・・
つまり、
日本の製糸産業の最盛期には、年端もいかない女の子達が
この峠を越え長野県の製糸工場へ出稼ぎに向かったといいます。

女の子達=工女達は、
飛騨の貧しい周辺農村部から集められて、粗末な寄宿舎で寝起きし、
休日も与えられず1日12時間以上の過酷な労働を強いわれました。
彼女達が仕事を休めるのは正月の三日間だけ・・・、
工女達は集団でこの峠を越え生家に帰り、
正月が明けると、また峠を越えて工場へ戻って行ったといいます。

しかし、
野麦峠は飛騨から信州へ向かう最大の難所で、
女の子達が、冬の厳しい時期にこの峠を越えるのは至難で、
谷底に転落したり、途中で亡くなる工女達が後を絶たちませんでした。

現在、
旧野麦街道を登ると、男性の背負われた女性の像が立っています。
この像は、工女・政井みねの像で、
彼女は過酷な労働が原因で病気となったため、
兄に背負われて飛騨の故郷へ帰る途中、この峠で力尽きたのです。
野麦峠まで辿り着いたみねは、
薄れる意識の中で、兄の肩越しに故郷の飛騨を見つめて、
「あぁ・・飛騨が・・・飛騨が見える・・・」
・・・と、
呟いて命を引きとったと伝えられています。

・・・で、
どのガイドさんもこの野麦峠を越える際には、
必ずこの悲劇を語るのですが、これがムチャクチャ上手なのです。
ここぞ、ガイドの腕の見せ所とばかりに、
情感たっぷり・・・時には涙を浮かべての大熱演で、
毎回、必ずお客様方からはすすり泣きが聞こえてきます。
十回以上も同じ話を聞いている私も、
毎回、毎回、泣いてしまうほどのスバラシサなのです。

さて、
その日も私はガイドさんの話に感動してすすり泣いていました。
すると突然、

「あっ・・・うぅ〜ん・・来た・・・」

ドライバーさんが急に苦しそうに唸ったのです。

「だ、大丈夫ですか? お腹でも痛いんですか??」

「いや・・・来たんだよ・・」

「はい??」

私がキョトンとしていると、ドライバーはこう続けたのです。

「女の子達が家に帰りたがってるんだ、わかるやろ。」

あっ、そういうことなんだ
「うん、解った。 私、何すればいい??」

「大丈夫や。 峠を下って、女の子達が知ってる場所か、
 家の近くにでも来れば離れるから・・」

後日、
何人かのドライバーさんからも同様の話を聞く事になったのですが、
野麦峠を越えていると、時折、背中にズドォーン・・・と重みを感じることがあるそうで、
そういう時には、耳元で女の子が囁く声が聞こえてくるのだそうです。

「帰りたい、帰りたい・・・」・・・と。


・・・てへっ、
今回はお盆なので、ちよっと「呪われた旅」風にしてみました。
たまには、こういう趣向も面白いでしょ。
えっ・・・、前回の「ヨン様!」と違いすぎるって・・・・
何のことかしらぁ〜〜 (^^ゞ