「まないた石」
愛媛県 松山城

前回、
佐賀城にまつわる話をしましたら結構評判が良くて・・・・・
・・・で、
お調子者の私としては、
しっかり図に乗って、今回もお城にまつわる話ぃ〜!!

さて、
今回の城は愛媛県松山城。
松山城は大変美しいお城で、
天守閣、櫓、櫓台、門は重要文化財にも指定されています。
また、小高い山に築かれている為、
リフトorケーブルカーで上るようになっています。
(当然、歩道も用意されていますが、私はシンドイの嫌いです)

この松山城二代目城主の蒲生忠知は暴君として知られています。
当初は名君と謳われていたそうですが、
世継ぎがなかなか出来ないことが原因で、
傍若無人な振る舞いが目立ち始めたといいます。
ついには、
城下から出産間近い臨月の妊婦をさらってきては、
「まないた石」と自らが名付けた石の上に妊婦をくくりつけ、
生きたままその腹を切り裂いて、胎児を取り出しては、
息も絶え絶えの母親の目の前で、その胎児を切り刻んだのです。
母親(妊婦)の絶望の悲鳴・・・断末魔は
城の隅々まで・・・いえ城下にまで響き渡ったと伝えられています。
(観光案内パンフによると史実だそうです)
そして、
この「まないた石」は現在も当時の姿のまま置かれています。
そして今でも、
夜になると、この石から妊婦や胎児の泣く声が聞こえてくるのです。
また、
妊婦がこの石に触れてしまうと、流産もしくは死産すしてしまい、
妊娠していない女性が触れると不妊となってしまうと言われています。

さらに、
この松山城には「戸なし門(重要文化財)」と呼ばれる
扉(戸)が取り外され、門構えだけになっている門があります。
記録によると、
門限を過ぎて戻ってきた腰元が、扉の閉じられたこの門の前で、
扉を叩き、必死に許しを請い入城を求めたが一切認められず、
逆にその場での自害を命ぜられ、自ら命を絶ったといいます。
それ以来、
陽が落ち門限が過ぎると、
扉を叩き、必死に許しを請い・・・
すすり泣きながら自害する腰元の霊が現れるようになったのです。
毎夜、毎夜・・・・扉が外されるまで続いたのです。
今でも、
陽が落ちると、門をすり抜けていく白い影が時折目撃されています。

そうそう、
この「まないた石」、「戸なし門」をバックに写真を撮ると、
この世のものでない何かが写り込む事があるそうです。
呪いの写真・・・・・
 (祟られるって噂があるので、絶対にヤメてくださいね)