「one season  その1 古戦場」
大阪府〜奈良県
生駒山系の某山の頂上〜尾根

えぇ〜と・・・・、
またまた、旅行ネタから離れちゃいます。

生駒山系というと、
「生駒トンネル」、「首吊り小屋」、「○○霊園」、「信貴スカイライン」
・・・といった、
関西でも有名な心霊スポットが集中しています。

しかし、
実は、もう一つ、
今では、ほとんど知られていない心霊スポットがあったんです。
以前、
MoMo従妹のyukiちゃんが掲示板に書き込んでた、
ひと夏で閉鎖されたキャンプ場・・・・。

25年前・・・・、
そのキャンプ場で一体何が・・・・・・?


えぇ〜と、さてさて、
いつもなら、すぐに本題に入るところなんですが、
今回は、このキャンプ場の話に入る前に
この山で過去に起こった
2つの出来事について話をしなければいけません。
そして・・・、
この2つの出来事は、
当初、キャンプ場のオープニングスタッフには知らされておらず、
彼等がそれを知らされたのは、
キャンプ場のオープン直前だったそうです。


1つ目の話・・・
その事の起こりは約670年前・・・太平記の時代までさかのぼります。

生駒山系のこの辺りは、
南朝のある名将(猛将)が守る城があって、
太平記の中でも有名な戦いが行われたんです。
多勢に無勢ということもあって、
南朝軍は破れ、この名将は自刃して果てています。
戦いの後、
地元の人達の手により戦死者のために慰霊碑が建てられ、
後には、この名将の銅像も建てられました。

さて、ここで、
時代は太平洋戦争末期まで飛びます。
日本の敗色が日に日に濃くなっていた頃の事です。

この頃になると
戦前から備蓄していた鉄、銅などの金属が底をつきはじめ、
鉄砲や大砲の弾すら作れないような状況だったそうです。
そこで、
当時の政府は
国民に対し、鍋、釜等の金属の拠出の命令を出したんですが、
同時に、お寺の鐘、各地の銅像なども拠出の対象になり、
この山の頂上にある名将の銅像も
拠出され、溶かされて、鉄砲か大砲の弾になったんです。

その頃から、
地元では奇怪な噂が広がったといいます。

「山菜を採りに山に入ったら、鎧武者に出くわした」
「多くの木々が、刀の様な物で叩き切られていた」
「深夜、ウォー・・という時の声が聞こえた」
「深夜、多くの人間が刀で争う音が響き渡った」・・・等々

地元の人々は、
「その名将の銅像が、戦死者の魂を鎮めていた」
・・・と噂しあったといいます。

戦後まもなく、銅像が再建され・・・、
この様な奇怪な噂は全く聞かれなくなったんです。

そう・・・、
この銅像の足元に広がる尾根にキャンプ場が出来るまでは・・・・


・・・・・・・・・・

「one season  その2 おかっぱ髪の少女」・・・に続く