「仇討の墓」 えぇ〜、先日、 群馬県に行って参りました。 で、 ある道の駅の「乗務員室」で、 現地のガイドさんとお知り合いになる事が出来まして、 その際、こんな話を教えて頂きました。 江戸時代、 高崎藩(現高崎市)に 長谷川源右衛門という藩士がおられたそうで・・・ 父を同僚の藩士、磯貝久右衛門に殺された彼は、 長谷川家の面目を保つために、 藩主から敵討ちの許可状をもらい、旅に出たのです。 どこに行ったのかも分らない、 仇(かたき)を探して日本中を回ったそうです。 十数年後、 久しぶりに故郷へ立ち戻ってみると、 磯貝は秘密裏に故郷に戻っていて、 既に亡くなっていたと分かったのです。 源右衛門は余りの口惜しさに、 ある雨の夜、磯貝の墓に槍を突き立てたそうです。 すると、 突き刺さった墓石から真っ赤な血が流れ出したのだそうです。 この「血を流した墓」ですが、 なんと! 高崎市にある長松寺に現存しているんだそうです。 源右衛門が槍で突いた穴も、しっかりと墓石に残っていて、 今でも、雨の夜には、墓が血を流すそうです。 というのも、 磯貝の墓の正面には、 源右衛門の墓が建てられているからだそうです。 (どういう経緯か解りませんが、これってスゴイですよね) 生きて敵討ちは出来なかった源右衛門が、 墓になっになった今でも、仇に槍を突き立てているのかもしれません。 なんとも不思議な話ですよね。 ちなみに、 そのお墓・・・誰でも見せて頂けるらしいですよ。 |