「先輩」


現在、
「クライマーズ・ハイ」という
日本航空123便墜落事故を背景とした映画が現在公開されています。

今回の話は、
この事故にまつわる話で、
yukiちゃんパパとその友人達の体験談です。

事故当時のyukiちゃんパパは大学生。
福寿荘という小汚いアパートで一人暮らし・・・
この福寿荘ってのが「めぞん一刻」の一刻館みたいで、
玄関で靴脱いで上がって、部屋に流しはあるけどトイレも電話も共同。

その日、
1985年8月12日、
yukiちゃんパパは、部屋で友人3人と麻雀をしながら、
東京に就職した先輩が大阪に帰って来るのを待っていたんです。

先輩の飛行機は、
18時00分羽田発、18時56分伊丹着の123便

「先輩、伊丹に7時前って言ってたよな!」

「あぁ〜、空港バスで梅田まで小一時間だから、
 9時までには来るんじゃないか?」

「でも、先に飲んでていいのかな?」

「大丈夫、大丈夫、先輩もどうせ飲んでるって!」

yukiちゃんパパ達4人は、
まだ外もシッカリ明るいというのに、
Hビデオ(裏モノ)を見るは、ビールは飲むは、麻雀打つはの大騒ぎ

午後7時半頃、
「先輩の飛行機、遅れてるのかな?」
「うん、伊丹着いたら電話するって言ってたもんな?」

実は、その頃、テレビ、ラジオでは、
123便が姿を消したとの速報が出ていたのですが、
Hビデオを見ながら麻雀を打っていた4人には知る由もありません。

そして、9時半過ぎ、
廊下の向こうから足音が近づいてくると、

「コン! コン!」

・・・と部屋のドアをノックする音、

「おっ、先輩とちゃうか!」

「電話せんと、そのまま来たんや」

でも、
yukiちゃんパパがドアを開けると
そこには誰もいません。

「あれぇ〜、今、ノックの音したよな?」

「あぁ〜、した、した!」

「おかしいよなぁ〜」

その時、

「スマン、スマン、飛行機にちょっとトラブルがあってなぁ〜!」

・・・と、
先輩の声が部屋に響いたんです。

「い、今の声・・・」

4人は、嫌な予感がして
慌ててHビデオを止めて、テレビに切り替え、
初めて、123便の事故の事を知ったそうです。


PS.
この事故では、
先輩の遺体は発見されず、
幾つかの遺留品だけが残されていたそうです。