「死ななくっちゃ・・・」
三重県 某温泉旅館


その日は、
事故で高速道路が封鎖されていたため、
ホテル到着時間が予定より大きく遅れ、
やっとのことで到着した時には、既に辺りは真っ暗になっていました。

思わぬ交通停滞や事故などで予定が大きく遅れたような場合、
私達添乗員は、
旅程(スケジュール)の組み直しや手配のやり直し等々、
それはもうもう大騒ぎになってしまいます。
でも、
ここが私達の腕の見せ所でもあるのです。

この日は、
宴会の時間が大きく繰り下がったので、
「翌日の出発を遅くして欲しい」・・・とのお客様のたっての希望で、
翌日のスケジュール、手配のやり直しなどに結構時間がとられ、
ホッ・・・と落ち着いたときには、午前1時を回っていました。

「あぁ〜、疲れたぁ〜、お風呂入ってビール飲んで寝るぞぉー!!」

早速、大浴場に向かったのですが
さすがにこの時間になると人もまばらです。
露天風呂にいたっては、私1人の貸しきり状態。

「うぅ〜ん、幸せ! やっぱ、露天風呂は最高だ〜!!」

そのときです。
急に背後から人の気配が近づいて来るのです。

「そ、そんな・・・」

実は、
私の背後には人が立てるスペースはなく、
ガラス張りの壁を挟んで向こう側は崖になってるんです。
背後から人が近づいて来るなんて不可能なのです。

「これはマズイかも・・・逃げなくっちゃ、早く逃げなくっちゃ」

でも、身体が全く動きません。
湯船の中にいるのに
金縛りになったみたいに指一つ動かせないのです。
背後の気配は少しずつ私に近づいてきます。
ついには、

「わた・・・・死・・・・はや・・・・あの人・・」

すぐ後ろで何かを呟いている様子がハッキリ感じ取れます。
そして、私の耳元に息が吹きかかり・・・

「私・・・死にたい。早く死にたい・・・私、死なないといけないの・・」

「でも、もう一度あの人に会いたい、声が聞きたい・・・
 でも、そうしたら死ねない・・私、早く死なないといけないのに・・・
 あの人は何処?・・・私、死にたくない・・」

呟きが一瞬止まったその時、
金縛りが解け、私は湯船から飛び出しました。
脱衣所に逃げ込みながら振り返ると、
ガラスの向こうにずぶ濡れの女性が漂っていました。

「やっぱり死なないと・・・
 明日は死なないと・・・
 あの人にはもう会えないし・・・」

彼女の呟きがダイレクトに耳の中に届いてきます。
そして、
彼女はその呟きを最後に闇の中にスゥーと消えていきました。

後で地元のガイドさんに聞いたのですが、
10年程前、
赤目48滝で入水自殺した女性が最後に泊まったのが
このホテルだったというのです。

彼女が自ら命を絶った理由は解りませんが、
最後の夜、
この露天風呂に入りながら死を決心したのではないでしょうか。
そして、そのときの思いが今もなお・・・